Snow Queen 13

 

虚ろな眼差しで、様々な思い出の詰まった部屋を眺めている。

今、室内はがらんとして日用品など何も置かれていなかった。

こちらで用意したものは全て処分してしまった。

豊は、初めてここを訪れたときと同じように、スポーツバックだけを持って立っている。

 

本日限りで、この部屋を、月詠を、後にする。

 

何故だか痛いような複雑な気持ちだった。

今更何を惜しむ必要があるというんだ。

結局、交歓留学は失敗に終わってしまった。向こうに行ったペンタファングのメンバーはどうか知らないが、少なくとも豊はその務めを果たすことはできなかった。

それでも、これ以上ここにいることはできない。

懐かしい天照郷の地を再び踏めると思うと少しだけ気分も晴れるようだったけれど、寂然とした思いはごまかしようがない。

これは一体なんなのだろう。

豊には適当な言葉が何も思い浮かばなかった。

「寂しいの、かな」

ぽつりと呟いてみる。

胸の奥が、ズキンと鈍く痛んだ。

そこから瞳をそらせて、気づかなかったふりをすると、踵を返して部屋を出た。

最後にかけた鍵の音だけ、いつまでも耳に残るようだった。

 

数日前に遡る。

綾人総代が月詠を訪れた翌日、豊は呉の前でひたすら謝り続けていた。

「かってな言い分だって事はわかっています、でも」

「―――私達の何が気に入らなかったのか、詳しい話しを聞かせて欲しいわね」

呆れているような、困っているような視線を向けられて、思わず口籠ってしまう。

月詠にもペンタファングにも、思うところなど何もない。

これは偏に自分のワガママであり、そして事情を話すことは出来なかった。

羞恥心もあるけれど、それ以上に薙との一連の出来事を誰にも話すつもりなどない。

自分の胸の奥だけに秘めておくべきことなのだと、なぜかそんな認識があった。

「すみません」

豊は頭を下げる。

「そう謝られても仕方ないわ」

呉は嘆息した。

「天照側との約束では、生徒が帰還を求めたら即応じること、多分これはあなた方の総代がねじ込んだ約束ね」

あの人はそんな根回しをしていたのかと、改めて驚かされる。

こちら側から殆ど生贄のように差し出された豊を守るための、彼の精一杯の対抗手段だったのだろう。

わずかに癒されるような想いが沸き起こる。

「まあ、うちも貴重なデータが取れたし、帰りたいという貴方を無理に引き止める手立ては無いわ」

いいでしょう、許可しますと呉は眼鏡を押し上げた。

「天照郷にお戻りなさい、秋津豊君、今日まで有難う、これからも頑張って」

「有難うございます」

「構わないわ」

そうして彼女は初めて、まるで子供を見送る母親のような笑顔を浮かべて見せたのだった。

「貴方はなかなか貴重な逸材だったわ、楽しかったわよ、またいつでも、ここへいらっしゃい」

 

寮の玄関付近までやってくると、扉の向こうに人影が見えた。

近づいていくと、見慣れた顔が三人ほど、彼を待ち構えていた。

「ゆんゆん!」

外に出た途端伊織に飛びつかれて、豊は危うくバランスを崩しそうになる。

「帰っちゃうって本当だったんだ?伊織悲しいよお」

「ご、ごめん」

苦笑する豊の肩に崇志が腕をかけてきた。

「ったく、お別れのパーティーもさせてくれないだなんて、ゆんゆんってばつれないぜ」

「すまない、皆」

「帰還の理由は一体なんなのだ」

凛が正面に立ちはだかり、腰に腕をあてて睨みつけられる。

怒っているのではなく、むしろ惜しんでいるような表情だ。

豊は閉口してしまう。

「ねえゆんゆん、どうしてもサヨナラなの?」

「―――うん」

「ペンタの子になってくれたんじゃないんだ」

「ゴメン、姫宮さん」

「―――ゆんゆんのバカッ」

突き飛ばされて倒れた豊を、崇志の両腕が受け止めるように支えてくれる。

のろのろと振り返れば、伊織は背中を向けていた。

凛がやれやれと首を振って返す。

「おいヒメ、何だ、すねてんのか?」

「―――そんなわけ、ナイデショッ」

くるりと振り返った伊織は予想に反して笑顔を浮かべていた。

「ただぁ、つまんなくなっちゃうなーって思ってただけ、だってゆんゆんってばちょーからかい甲斐あるし」

「オイオイ、それだけかよ」

「それに一緒に頑張ってきたじゃない、だからね、ちょっと残念だっただけ、それだけ!」

あたし格好悪いねと言って笑う、その笑顔がどこか痛々しい。

豊は困り顔で微笑んでいた。

「まあ、それに関しちゃ俺もリンも似たようなもんだな」

崇志も苦笑する。

「正直、ゆんゆんがいなくなるのってちょっと残念だぜ、まあ、仕方ないんだろうけど」

「詳しい事情が言えぬならあえて問わんが、私も多少名残惜しいぞ」

皆、と豊は呟いていた。

もしかしたら、ここでの自分は異分子ではなかったのかもしれない。

彼らはとっくの昔に豊を仲間だと認めていてくれたのかもしれない。

けれど、その思いを証明する手立ては何もない。

それに―――それだけではなく、豊はもう限界だった。

ここでの日々に、彼に、これ以上付いていくことは出来ない。

「ごめん」

あらためて深々と礼をする。

伊織がいらないよおと声に出して笑った。

「でもでも、ゆんゆんはうちの子なんだから、またいつでも帰ってきていいんだよ」

「ああ、無論だ、歓迎させてもらうぞ」

「あー!」

「って、んだよヒメ、いきなり大声出すなって」

「ゆんゆんが帰るってことはあ」

「何だ?」

「―――あんのバカがまた戻ってくるってことかよ、畜生!」

崇志と凛がやれやれと顔を見合わせて首を振る。

豊は思わず笑ってしまった。

―――こんなやり取りすら、もう二度と見ることは無い。

「京羅樹、姫宮、鳳翔」

伊織がハアイと可愛らしく返事をして、三人が振り返った。

「皆、本当に有難う」

言いながら、それとなく後一人の姿を探す。

やはりどこにも見当たらなくて、豊は少しだけ寂しそうに笑った。

やはり、来てはくれないか。

崇志達にも見送ってもらえるとは思っていなかったので、こうして笑顔で別れを告げられる事をむしろ喜ぶべきなのかもしれない。

ゆんゆん、元気でなと崇志が笑う。

「帰ってもメールくらいくれよ?」

「ちょっとラギー、ゆんゆんケータイ持ってないんだよ、あんな田舎じゃパソだってないだろうし」

「じゃ、帰りに携帯買って帰んなよ、ね?」

「その前に電波が届くかどうかが問題だろうが」

「おっと、厳しいツッコミだね、天照さんはアンテナ立つのかい?」

多分、と答えて豊は苦笑した。

「郷にはパソコンくらいあるよ、教員用だけど、頼めば貸してもらえるだろうから」

「うっわ前時代的だ」

笑い声が響く。

名残は尽きないようだった。

「じゃあ、またな」

「元気でねゆんゆん、浮気しちゃダメだぞ?」

「お前の恋人では無いだろうが、とにかく、達者でな」

口々に告げられる別れの言葉に、豊はいちいち頷いて返した。

歩き出しながら、途中で振り返って手を振る。

「皆、有難う」

最後の表情は笑顔だった。

「―――さようなら」

小さく告げて、正門へと向かう。

途中で角を曲がると、寮は見えなくなってしまった。

少しだけ寂しい気持ちが胸をよぎるようだった。